いわゆる「ニホンザリガニ本州移植プロジェクト」について考える

1.ニホンザリガニは東北以南に棲息できるのか

ニホンザリガニは、北海道及び東北北部を棲息地としている日本固有のザリガニですが、近年その棲息環境の急激な破壊により、個体数を急激に減らしていることは、皆さんご承知のとおりです。
ニホンザリガニが棲息するには、@年間を通じて水温が15度以下であること、A主食となる落ち葉が存在すること、B天敵が過大に棲息していないこと などが必要です。
棲息場所としては、洞爺湖・支笏湖のような大きな湖や河川はもちろんのこと、名も無い小川や沢、更には湧き水のしみ出る山の斜面に至るまで、かなりバリエーションに富んでおり、それぞれの場所でニホンザリガニはたくましく生きています。
そのような場所なら本州にもいくらでもあるではないか! ということから、いわゆる「ニホンザリガニ本州移植プロジェクト」の発想が出たのでしょう。棲息場所が減り続けている中、北海道・東北北部だけでなくそれ以南にも棲息地を確保でき、絶滅の危機から救えるのであれば、魅力的なプロジェクトではあります。
確かに、本州でも、一定以上の標高にある湖沼や、湧き水の出る沢などでは、年間を通じて15度以下の水温を保つことができ、落ち葉も豊富にあるというような場所は沢山あるように思えます。
また、ニホンザリガニが本州で棲息できるのか? という疑問には、日光の大谷川で捕獲されたニホンザリガニの例が一つの答えを出してくれるのではないでしょうか。


2.日光市大谷川で捕獲されたニホンザリガニ

栃木県日光市大谷川水系の流程50メートルほどの狭い区域の調査で、10匹以上のニホンザリガニの個体群が捕獲されました。近隣の他区域にも同様の個体群が棲息していることが予測されます。
このニホンザリガニの額角・腹板・尾肢などの形態は、東北産の個体とは異なり、北海道産の個体と共通していました。また、ニホンザリガニに付着していたヒルミミズ類は北海道に分布するカムリザリガニミミズであり、またニホンザリガニのDNA鑑定を行った結果、北海道中西部の個体と共通していました。これらの結果から、このニホンザリガニは北海道中西部から持ち込まれた個体の子孫であることが推定されました。
他方、大正時代の北海道水産試験場千歳支場、宮内省、苫小牧の運送業者などの公文書、注文書、電報などの過去の文献から、大正6年に日光の御用邸内にニホンザリガニを蓄養する生簀が作られ、支笏湖から大量のニホンザリガニが運ばれてそこで飼われていたことが明らかになりました。このニホンザリガニは、大正天皇をはじめとする皇族の食材とするためのものです。また、御用邸内の生簀と大谷川とは連絡していたことも判明しました。
以上のことから、大谷川水系で捕獲されたニホンザリガニ個体群の由来は、大正時代に支笏湖から日光の御用邸に運ばれたニホンザリガニのうち大谷川に逃げ出した個体の子孫であろうと結論付けられました。
これは、実に90年間も、東北以南においてニホンザリガニが累代繁殖していたことになります。ニホンザリガニの性成熟に必要な年数から判断して、捕獲されたザリガニは初代から数えて15〜25代目の子孫ではないでしょうか。本州の東北以南にもニホンザリガニは立派に棲息できるというエビデンスとなりましょう。


3.そもそも大昔は東北以南にもニホンザリガニが棲息していたのか?

いわゆる「ニホンザリガニ本州移植プロジェクト」には、当然ながら賛否両論があります。
反対派は、「本来の棲息地である北海道及び東北北部以外の地に移植することは、移植先での生態系を乱すものであり、生態系の現状維持という大原則に反する。」と主張します。おそらく環境省をはじめとした太宗は、これにくみするのではないでしょうか。
他方、賛成派は、「唯一の日本固有種であるニホンザリガニを絶滅の危機から救うため、日本の国土を手広く利用すべきである。」と主張します。リベラルな意見であるとは思います。
しかし、そもそも東北以南にもニホンザリガニが棲息していたのでしょうか? もしそうであれば、議論の方向性もかわってきます。
ここで、次のような仮説を紹介しましよう。
ニホンザリガニチョウセンザリガニは非常に近い種であることが知られています。形態もよく似ていますし、低温域に棲息するなど生態も良く似ていますので、おそらくその祖先は共通であったと思われます。
さて、日本列島は、地球の気温が下がり海面が下がると大陸と陸続きとなり、逆に地球の温度が上がり海面が上昇すると島となる、ということを繰り返してきました。かつて地球温度が下がり日本列島が大陸と陸続きであった大昔、ニホンザリガニチョウセンザリガニの共通の祖先が、今の朝鮮半島や日本列島に相当する地域に広く分布していました。今より気温も低かったので低温域を好むこのザリガニは本州に相当する場所でも快適に暮らしていたことでしょう。
その後、地球の気温が上昇するにつれ、ザリガニたちは低温域を求めて標高の高い山の沢などへと移動を始めました。同時に日本列島も大陸から分離して島となりました。海に面している日本列島は暖流の影響もあり、朝鮮半島に比べて気温の上昇が大きく、ザリガニたちはこれに耐え切れずに南に棲息するザリガニから徐々に死滅してゆきました。こうして終に北海道と、本州では緯度の高い東北北部の山間部に棲息するザリガニしかいない状態まで地球の気温は上がり続けました。
その後の気温下降とともに、この子孫であるニホンザリガニは、平地にも降りてきましたが、現在のように、北海道及び東北北部にしか棲息していないのです。
朝鮮半島は、緯度的には本州の北半分に相当しますが、大陸側にあり日本列島ほど気温が上昇しなかったため、チョウセンザリガニの祖先は半島全域の山間部で生き残ることができ、現在は半島の北部から南部までの山間部の沢などに広く分布しています。」
さて、以上の仮説が正しいのであれば、大昔は東北以南にもニホンザリガニの祖先が棲息していたことになり、それならば、元々本州にも棲息していたのだから、本州にニホンザリガニを移植してもいいのではないかと考える人も出てくるでしょう。専門家によるこの仮説の検証を期待したいところです。


4.ペット店で売られている哀れなニホンザリガニ救出作戦

ところで、いわゆる「ニホンザリガニ本州移植プロジェクト」には相当なカネやヒトが必要とされるため、資金調達ができるザリガニ専門NPOなどでなければ、できる話ではありません。
細々と個人ザリガニストをやっている私たちにできるのは、せいぜいペット店で売られている哀れなニホンザリガニを、なけなしの小遣いを使って一匹づつ救出することぐらいです。
そして、その場合の私たちの選択肢として、
@北海道か東北北部の棲息地まで運んで放す
A奥多摩など近郊の山の沢に運んで放す
B死ぬまで水槽で飼う
C死ぬ前に茹でて食べてしまう
があるわけですが、BとCは救出したことにはなりません。Bでどんなに高価なクーラーを買って少しでも長くニホンザリガニを生かせようとしても繁殖までは困難であり、子孫を残す希望が殆どないザリガニさんは哀れです。いっそのことCの方が、生物の食物連鎖の中で人間様という生物のお役にたてるという意味では犬死ではないので、ザリガニさんも本望かもしれません。
救出作戦としては@が理想的であり、推奨されます。できれば、これをやってもらいたいものです。
しかし、多くのザリガニストにとって、往復運賃を出して北海道まで行く金銭的・時間的な余裕はないかもしれません。せいぜいAが精一杯かもしれませんが、これはまさに「ニホンザリガニ本州移植プロジェクト」のミニチュア版です。生態系現状維持派からは反対意見も出るでしょうが、違法な行為ではありません。
いずれにせよ、オス・メス何ペアかを棲息・繁殖の可能な場所に放せば、数十年後、同じ場所でその子孫のニホンザリガニ個体群に再会できるかもしれないという点では、夢のある話かもしれませんが・・・。